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ホテル周辺の店の営業再開 テロ犠牲者の葬儀も インド

ホテル周辺の店の営業再開 テロ犠牲者の葬儀も インド

<1> テロリスト集団の完全制圧から一夜あけた30日、ムンバイ市内は多くの店が通常通りに営業を再開し、市民生活は平常に戻りつつある。犠牲者の葬儀も各地であり、遺族らは一様に悲しみにくれていた。前日まで一般客の立ち入りが制限されていたタージマハルホテル周辺では、商店の多くが営業を再開した。薬局のラフル・シャルマさん(28)は「もちろん、テロは怖い。でも働かなければ」。 

<2> 襲撃を受けたレオポルド・カフェも、近く営業再開の予定だ。テロリスト2人が押し入って無差別に発砲し7人が死亡、店も荒らされた。だが、店内はこの日、元の姿に戻っていた。オーナーのファルハン・ジェハニさん(44)は「テロの恐怖に屈したと思われたくない」と話した。市内の葬儀場ではタージマハルホテル総支配人、カランビル・カングさんの妻ニティさん(40)と2人の子供の葬儀があった。一家はホテル6階の一部を住居にしていた。カングさんが宿泊客の避難や治安部隊への対応に当たっていた間に、家族3人が銃撃を受けて亡くなったという。 葬儀には、遺族やホテル従業員ら数百人が出席。遺体が運び込まれると、嗚咽(おえつ)する声が響いた。
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疑似科学やオカルト… なぜ、だまされるのか?

疑似科学やオカルト… なぜ、だまされるのか?

【1】スプーン曲げが超能力ではなく、支点、力点、作用点を利用すれば簡単に曲がることを実演で証明する安斎さん=大阪市  霊視や前世占い、占星術といった「スピリチュアル(精神的な、霊的な)世界」がブームだ。それらを扱うテレビ番組は軒並み高視聴率を獲得し、ベストセラーになる出版物も多い。だが、中には疑似科学やオカルト現象を妄信し、だまされて被害にあう人もいる。科学の視点で批判してきた立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎さんは「『思い込み』と『欲得ずく』が錯誤への落とし穴」と注意を呼びかける。(伐栗恵子)

■「欲得ずく」「思い込み」が落とし穴

 今月中旬に大阪市内で行われた関西消費者協会の講演会。安斎さんは趣味の手品を生かしながら、超能力やオカルト現象のトリックを暴いていく。

 例えば、スプーン曲げ。丈夫な金属のスプーンを指で軽くさすっているうちに、ぐにゃりと曲がり、客席からは驚きの声が上がる。だが、これは支点、力点、作用点をうまく利用しただけ。要領さえつかめば簡単に曲がるという。

 「目の前で自分の理解を超えたことが起こったとき、超能力と思わずに、なぜ、こんなことが起きるのか、と考えてほしい」と安斎さん。「人間は、だまされやすい」ということを肝に銘じるのが大切であって、一番危ないのは「私だけは、だまされない」という「思い込み」と指摘する。

【2】 「あの人の言うことだから、本当だろう」という主体性の放棄も、自らの心をだます行為だ。「自分の目でしっかり確かめ、自分の頭で判断する習慣を」と呼びかける。

 不幸に陥ると、その原因を霊に求める人がいる。問題の根本的な解決にはならなくても、「悪霊(あくりょう)のたたり」などのせいにした方が心の平安を得られやすいからだ、と安斎さん。「霊は、人の不幸の消しゴム係」と絶妙の表現をする。

 もし霊が目に見えるのならば、霊そのものが光を発しているか反射しているはず。「たたる」には記憶や認識といった高度な仕組みを持った有機体でなければならない。霊を信じるかどうかは個人の自由だが、「科学的な意味では存在し得ない」と断言する。

 科学技術が進歩したこの時代に、人はなぜ、「スピリチュアル」にはまるのか。安斎さんは、それこそ、「なぜ」と問う力が弱まっているからだと嘆く。

 例えば、携帯電話やDVDの仕組みは、説明されても理解するのが難しい。科学が進歩したがゆえに、人は自分の理解の範疇(はんちゅう)を超えたものをそのまま受け入れてしまいがちで、それが超能力などを簡単に信じる傾向となって表れていると説明する。

 「ささいなことでも、『なぜ』と意識的に問い直してほしい。その背景には必ず理由があるのだから」

【3】さらに、“インチキ”を見破るには、「そんなことができるのなら、どうしてこうしないのか」と考えてみることが大切だと言う。

 スプーン曲げができるのならば、どうして金属加工技術として役立てないのか。そんな能力をもった人を生産ラインにずらりと並べれば、次々と金属加工が施され、たちまち製品が出来上がる。簡単に大もうけができる話なら、その勧誘員自体が大金を手にしているはずであり、そもそもそんなおいしい話を他人に教えるのか。「3週間で英語がペラペラになる教材」といった宣伝文句が本当なら、なぜ、その販売員はペラペラではないのか…。そう考える心のゆとりが必要だ。

 楽して得を取りたいという「欲得」と「思い込み」、それに「非合理的思考」が結合するとき、人はとめどもなく危うい「だまし」の深みにはまっていく、と安斎さんは警告する。
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