SSブログ

<<<江東マンション神隠し殺人事件>>> 神隠し判決 “死刑”と“無期”分けた「残虐性」「強姦は未遂」「計画性」 

<<<江東マンション神隠し殺人事件>>> 神隠し判決 “死刑”と“無期”分けた「残虐性」「強姦は未遂」「計画性」 

trl0902221300000-p1.jpg
【1】
事件直後、マンション前で報道陣の取材に答える星島貴徳被告 プロの裁判官が選択したのは「死刑回避」だった。東京都江東区のマンションで、2室隣の東城瑠理香さん=当時(23)=を自室に拉致し殺害、遺体を切断してトイレから流すなどしたとして、殺人罪などに問われた元派遣社員、星島貴徳被告(34)に対する公判は、検察側の死刑求刑に対し、18日に東京地裁で無期懲役判決が出された。地裁は26年前に最高裁が提示した“死刑基準”をベースに量刑を検討。検察側、弁護側で意見が分かれた「殺害方法は残虐か」「強姦の未遂は情状になるか」「計画性の有無」の3点の評価が、「死刑」と「無期」を分けた。(芦川雄大、小田博士)



判決に無念さうかがわせる遺族…それを「見ない」被告


 判決では、検察側が起訴状、冒頭陳述を通じて主張してきた犯行内容が全面的に認定された。

 星島被告は昨年4月18日午後7時半ごろ、東城さんをさらって強姦しようと考え、東城さんが帰宅して玄関を開けたところを押し入った。タオルで両手首を縛り、包丁を突きつけて自分の部屋に連れていったものの、陰茎が勃起しないため強姦ができず、アダルトビデオを見るなどしていた同10時40分ごろ、警察が捜査を開始したことを察知。「逮捕されたらそれまでの生活や体面を失う」と考え、同11時ごろ、東城さんの口を押さえながら包丁を首に刺した。

 5分ほどしても呼吸が止まらないため、包丁を引き抜いて失血死させると、1時間もたっていない同11時50分ごろには、のこぎりと包丁などで遺体の切断に着手。細かくして、5月1日までに自宅のトイレに肉片や骨片を流したほか、大きい骨などを区内の別のマンションのゴミ置き場やコンビニエンスストアのゴミ箱に捨てた-。これが犯罪事実として認定された内容だ。

【2】
 判決の読み上げにかかったのは、ほぼ1時間ちょうど。この間、全身黒い服装で傍聴を続け、死刑判決を望んできた遺族らは、表情を強ばらせたり、脱力して真下に視線を落とす体勢を取ったりして、心中の苦しさや無念さをうかがわせていた。

 やや下を見たまま動かない星島被告は、判決言い渡しの前後にも傍聴席から気づくような目立った変化、動揺は見られず、「絶対に死刑だと思います!」と自ら突然叫んだ過去の公判のような不規則発言もなかった。

 一般的に閉廷後は裁判長に一礼する被告が多いが、星島被告は公判が終わってもゆっくり立ち上がるのみ。頭を下げず、遺族席も見なかった。



「残虐」だが…「残虐極まりない」とはいえない?


 「死刑か無期か」という量刑のみが焦点となった公判。星島被告が罪を認めていたため、認定された事実や情状、類似事件の判例を、平出喜一裁判長ら3人の裁判官が「どう見るか」が、量刑のポイントとなっていた。

 裁判長は殺人について「残虐かつ冷酷」、遺体をバラバラにして捨てた行為を「戦慄(せんりつ)すら覚える」「遺族のただでさえ深い傷をどれだけ深くしたのか計り知れない」とし、「死者の名誉や人格、遺族の心情を踏みにじる極めて卑劣なもの」と事件を厳しく非難した。感情面での見方は、一般の感覚と大差がなかったといえるだろう。

 だが一方で、判決は冷静に犯行を分析し、星島被告にも有利な事情があるという結論に至っていた。

 それは(1)殺害方法は「残虐極まりない」とまではいえない(2)強姦、わいせつ行為に及んでいない(3)拉致したときには、殺害や遺体切断は計画していなかった-の3点だった。

【3】
(1)については、認定された遺体の処理方法があまりに残酷なため一見すると違和感を覚えるが、要するに殺害方法自体は、目隠しした東城さんの首を包丁で1回刺しただけであり、「冷酷ではあるが『残虐極まりない』とまではいえない」(判決)という趣旨である。

 さらに判決は「東城さんが死亡した後の遺体損壊、遺棄を過大に評価することはできない」とし、殺害後の行為を殺人と切り離して考慮すべきだという考えを示した。

 前述のように、判決では殺人について「残虐」と表現しているくだりもある。つまり、「殺害方法は残虐だが、残虐極まりないというほどではない」という判断だったことになる。何とも難解だ。

 (2)については、「性的自由や貞操が害された事案とそうでない事案とでは、非難の程度には差がある。(拉致後何もせず)2時間以上過ぎた経緯も考えると、わいせつ行為を始めたり乱暴したりした事案と非難の程度には差がある」とする。

 (3)については「当初から殺害、遺体損壊を意図していた者とそうでない者への非難の程度には差がある」と結論づけている。

 この3点は、いずれも検察側と弁護側で「解釈」に争いがみられていた部分だった。

 検察側は(1)について「殺害行為は、遺体の遺棄までの全体として考えるべき」、(2)は「勃起しなかっただけ」、(3)は「殺害は拉致時点で必然となっていた」などと主張していたが、裁判所はいずれも弁護側の主張をくんだ判断をしたことになる。

 これが死刑回避の直接の要因になったといえる。



「1人で死刑」の3判例、光市事件には言及せず


 こうした点を量刑の判断材料にした根拠について、判決では、連続射殺の「永山事件」で、昭和58年に最高裁が判決で示した死刑基準(永山基準)を挙げた。永山基準は死刑を検討する際に考慮されるべき項目を列挙したもので、(1)で「残虐性の度合い」が分析されたのは、永山基準の中に「犯行の態様、特に殺害方法の執拗(しつよう)性と残忍性」という項目があったためだ。

【4】
 このほか、永山基準の中で今回の判決に影響を与えたのは、「結果の重大性、特に殺害された被害者の数」という項目だ。

 今回の判決はこの項目に触れ、「殺害された被害者が1人の事件で死刑を選択するためには、ほかの量刑要素で相当程度の悪質性が認められることが必要」と説明し、今回はこのケースにあてはまらないと判断。これも死刑回避を補強する点となった。

 一方で判決は、検察側が死刑を求刑する根拠として挙げた「性欲を満たすため、無差別に選んだ被害者1人を監禁後、摘発を逃れるために殺害した犯人」に死刑判決が確定している3つの判例や、光市母子殺害事件の平成18年の最高裁判決で「重大な罪の場合には『特に酌量する事情』がない限り死刑を回避できない」(検察側の解釈)と示された点には触れなかった。

 「今回の判決は基本的に永山基準にこだわりすぎている。1つでも基準を満たさなければ、死刑は避けるという考え方だ。その一方で、光市事件の判例が全く考慮されていない。というよりも無視されている」と指摘するのは諸沢英道常磐大教授(刑法)だ。

 「被害者は縛られているので恐怖を覚えていたはずだし、刺されてから死亡するまで何分もかかっている。バラバラにしたことも殺人からの一貫した行為であるとされていいと感じる。検察は当然控訴すべきだ」と、犯行をめぐる判断についても疑問を呈す。



「被告と絶縁家族との仲に変化」…これも情状?


 「被告は遺族らに対し、公判で謝罪したほかは何もしていない」

 「自らの非を悔い、罪のあまりの重さに苛(さいな)まれ、受け入れられるはずもない謝罪をしようとしているのを、うわべだけのものと切って捨てることはできない」

 この2つはいずれも判決文の内容だ。星島被告は、遺族に対して謝罪しようとする意図があるのかないのか。一見して矛盾しているようにも感じる。

【5】
この点はひとまず置くとしても、判決では、星島被告が犯行に至るまでの生活や、犯行後の反省を有利に勘案しようとする内容が目立った。

 「幼少時に負った、大きなやけどの痕にコンプレックスを感じて生きてきたことには同情すべき点もみられる」

 「(やけどの恨みなどをめぐって絶縁状態だった)家族との関係には変化の兆しもみられる」

 「1週間ほど前に犯行を決意するまでは、あくまで妄想の次元にとどまっていた。生活歴や生活状況に、問題となる点は見られない」

 「罪を悔いている」

 こうした点について判決は、「相応の意味がある事実といえる」「矯正の可能性が残されている」などとした。何の落ち度もない東城さんをバラバラにされて失い、「せめてウエディングドレスを着せて棺に入れてあげたかった」(東城さんの母)などと嘆いた遺族らには、不公平な言葉に聞こえたとしても不思議ではない。



死刑求刑は「理解できないことではない」


 このように、今回の無期懲役判決は、永山基準をもとに、事実関係と情状を総合的に勘案して出されたといえる。

 だが、判決文には「検察官が死刑を求めるのも理解できないことではない」とするくだりもあり、難しい判断だったことをにじませていた。

 公判では遺体の肉片や、遺体解体の再現映像、東城さんの生い立ちからの写真を法廷のモニターに映し出すなど、裁判員制度を意識したとされる画期的な手法が取られ、「劇場型裁判」とも呼ばれた。

 一方で、生々しい映像に耐えきれず遺族が法廷を飛び出して泣き崩れたり、犯行場面を詳細に被告に質問する検察官の立証手法に弁護人が疑問をぶつけるなど課題も顕在化した。だが、公判を通じて裁判員制度への関心、問題意識が喚起されたことは間違いない。

 あるベテラン裁判官は「今回のように毎回全力投球していたら検察側も疲れてしまう。スライドショー的な立証が一般的といえるわけでもなく、ケース・バイ・ケースで考えていく必要がある」と話す。

 無期懲役判決という「結末」を、国民はどう感じたのだろうか。プロの裁判官たちは「死刑と無期」の境界線を、将来裁判員となるかもしれない人たちに示すことができたのだろうか。今後も検証が必要だろう。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。